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人道の港 敦賀 モニュメント

 このモニュメントは敦賀港が1902年(ウラジオストクとの間に直通航路が開かれる)から1941年にかけてヨーロッパとの交通の拠点で有ったこと、また1920年、動乱のシベリアで家族を失ったポーランド孤児375名や、第二次大戦のナチスの迫害を逃れ日本通過ビザ『命のビザ』を携えたユダヤ人2,139人が上陸した日本の唯一地であり、彼らにとって敦賀港が死と絶望から未来と希望を求め旅立った転換の地『人道の港』であった、これらの敦賀の歴史をモニュメントとして未来へと語り継ぐ事を目的とします。

 

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